【ことわざ】事后诸葛亮
事后诸葛亮(shī hòu zhū gě liàng)
(訳)事が終わってから偉そうなことをいう人。あと知恵。
事が終わってからの諸葛孔明ってことですね。
これは分かりやすい。
こういう人いますね、確かに。
「诸葛亮」は諸葛孔明のこと。
中国語では孔明とも書くそうです。
事情过后才悟出其中的道理或脱出处理的办法。
比喻事后自称有先见之明的人。
諸葛孔明は日本でも有名ですが、中国ではとっても有名。
同じく「诸葛亮」を使用したことわざが他にもあります。
三个臭皮匠,合成一个诸葛亮
(訳)3人寄れば文殊の知恵。
なるほど!
こうやって中国語を勉強していると、「なるほど!」と思うことがよくあります。
漢字という共通点もありますが、なんていうか面白いです。
もっと学ぼうと思いますね。
【俗語】开门七件事
开门七件事
(訳)日常生活で必要なこと。
开门=家を持つときに必要な7つのこと。
つまり日常生活に必要な物事の意。
是古代中国平民百姓每天为生活而奔波的七件事。
「开门」的意思是开始家庭生活或持家。
「七件」的分别是 柴、米、油、盐、酱、醋、茶
都是生活中的必需品。
「柴」は薪。
米と油と塩と味噌と塩と茶。
確かに、必ず必要な調味料です。
また、薪がないと火が起こせず、何も料理ができません。
お茶が入っているところが中国らしい感じがします。
日本でいう料理の「さしすせそ」に似ているのかな。
こちらは料理の話なので、少し意味は違うかもしれませんが。。
【名詞】五音不全的人
五音不全的人
(訳)音痴の意。音楽に疎い人のこと。
音が完全でない、ということで音痴という意味。
確かに。
日本語で音痴、と言われるより論理的な感じがしてちょっとマシかもしれません。。
不正确的我发音,及对音乐的把握。
现在的音阶一般有七个,可是中国古代的时候只有五个音阶。所以叫 五音不全。
今の音階はドレミファソラシ・・と7音ですが、
昔の中国では5音だったため、この言葉ができたらしいです。
因为我五音不全,所以不想去卡拉OK。
(私は歌が下手なのでカラオケに行きたくありません。)
音痴がどうした。
楽しければそれでいいのだ。
同じような意味の言い回しで、「没有音乐细胞」というのがあります。
音楽音痴、的な意味だそうですが、間の言葉を変えて
「没有运动细胞」運動音痴
「没有机器细胞」機械音痴
のように使えます。
日本語でも〇〇音痴、は良く使うので、色々使えそうな言葉です。
中国語ドラマみるなら絶対これ!
【成語】大手大脚
大手大脚
(訳)金遣いが荒いこと。大雑把なこと。
大きな手と足。 なんとなくイメージは付きます。
形容对财物毫不吝惜。 没有节制地随便花费。
大盤振る舞いとか、大雑把とか、「大」という字が付く。 でも気前がいいという意味でもあるので、いい時にも悪い時にも使うみたいですね
(あなたのその使い方、もしかして金遣い荒いタイプ?)
ちなみにこれの対義語はあります。
意味は「質素倹約」
省吃俭用
(訳)食べるのを減らして、生活を切り詰める。
【ことわざ】兔子尾巴长不了
兔子尾巴长不了
(訳)物事が長続きしないこと。
ウサギのしっぽは長くならない、
長続きしない、長くならない、の意味を表しています。
比喻办事没有耐心,没有长性。
形容邪恶势力不会长久。
何かが長続きしない、というときに使うみたいですね。
また、悪い勢力は長続きしない、というニュアンスで使用することもあるそう。
最近他变得很认真,反正兔子尾巴长不了。
(彼は最近真面目にやっているが、結局長続きしないかもね。)
中国語では、ウサギを使った慣用句やことわざが他にもあります。
兔子尾巴长不了
(訳)兎を捕えてしまえば、これを捕えた蹄(わな)は無用のものになる、
つまり目的を果たすと手段や道具は不要になること。
日本語でも「二兎追う者は一兎も得ず」など、意外と使われていますね。
ちなみに中国語でも同じ意味のことわざがあります。
「魚和熊掌不可兼得」
(訳)魚と熊の手を同時に得ることはできない。
つまり、相反するものは同時に手に入れられない、の意。
成語も面白いですが、ことわざも面白いです。
さらっと使えるようになりたい。